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吉田司『宮沢賢治殺人事件』(太田出版)は〈事件〉か? −−こういう問いに対して、わたしは、「いやいや、とんでもない。こんなもの。」としか答えようがない。その理由を少し述べてみよう。
わたしは宮沢賢治を、近代の日本に生まれたすばらしい、大変稀有な作家であり、また来世紀においてますますその意味が発見されてゆくであろう、大変重要な思想家であると思っているが、しかしわたしは彼の崇拝者ではない。わたしもまた、賢治についてかつてものを書き、また今後も幾つかの問題について、更に書き進めてゆこうと思っているが、それは敬愛者としてであり、崇拝者としてではない。そして何よりも〈哲学者〉として書いて行こうと思っている。
賢治の崇拝者であれば、一行の信仰告白と、おのれの見方からする礼賛の言葉で、賢治についてものを書くことの意味は満たされよう。しかし、崇拝者ではない時、賢治についてものを書くことには、別の、ある厳しいモラルが要求されることになるだろう。それは、一方の極では、学術としての厳密さをもって賢治について何事かを追究し、それまで曖昧に想定されていた事柄に明確な照明を与える、というようなことである。たとえば小倉豊文氏の『宮沢賢治〈雨ニモマケズ手帳〉研究』(筑摩書房)は、その方向での意味とモラルのある仕事の一つに挙げることができるであろう。そしてもう一方、より重要なことだが、思想として賢治の作品や仕事を問題にする時、その場合に重要なモラルは、おのれの肯定するもの、つまりおのれの立脚点とするものを明確に示しつつ、賢治の思想を批判的に検討する、ということであろう。つまり賢治の思想の可能性や限界を検討し、そしてみずからの信じるその乗越えの道筋を示す、ということであろう。わたしは、わたしの「〈ひとつのいのち〉考」(『ニーチェから宮沢賢治へ』、創言社)の中で、原体剣舞、上伊手剣舞について追究し、賢治の言う「上伊手剣舞」が、かつて「漆立屋敷」に伝承していたものであろうということ、詩「原体剣舞連」の中の「悪路王」が、漆立屋敷伝承の由来書や、熊野田剣舞の由来書などから発想された可能性が強い、ということを示したが、この追求は学術的なモラルに従っている。そしてまた同論でわたしは、詩「原体剣舞連」の中で賢治の言う「ひとつのいのち」という言葉を、最大限「万物同生」的な思想から遠ざけて読み取る解釈を提出したが、これは、わたしが立脚しているリズム論からの照明によって、賢治を、賢治みずからが誤解によって陥りがちであった迷路から、救済した、という意味のものだとわたしは理解している。哲学的・思想的な批判というものの、もっとも美しい形というのは、このようなものではないか、とわたしは思っている。
しかしわたしは、残念なことに、吉田司氏の『・・・殺人事件』には、このどちらのモラルも見出すことができない。氏がその著で行なっていることは、「宮沢賢治?−−あいつは国柱会ダゼ!」、というレッテル貼りに尽きるのではないだろうか。こういうレッテル貼りがまずいのは、そこには「国柱会はなぜ悪いか」、ということについてのしっかりした概念や考えが欠けており、そのため、たとえば、「国柱会、なぜ悪い!」、という環境の中に取り囲まれた時、何一つ反抗の拠点を示すことができなくなってしまうからである。みずからの立脚点をつきつめ、明確にさせること、それに基づかない限り、すべての批判は、既存の価値を借りてするレッテル貼りでしかないのだ。著作家として仕事を続けて行くであろう吉田氏には、まず何よりもこのことを望んでおきたい。
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吉田氏のこの著における賢治作品の引用が、作品自体の「読み」から出発していないために、言葉の誤った解釈になっているところは、わたしが気付くだけでも相当な数にのぼる。また、誤謬推理と呼ぶべきテキストの無茶苦茶な読解操作も、そこここに目につく。しかし、それらについてはここで論ずることはやめよう。別の機会に、それついて言及する必要があると思える場合に、論じてみることにしよう。そしてここではこの著書の最も魅力的な一点についてだけ簡単に触れることにしよう。
わたしにとってこの著の中でもっとも興味深く読めたのは、第六章「遊民のバーチャルランド」であった。たとえば「軍都盛岡を中心に岩手県全土が刻々と軍国ファショへの道を歩もうとし始めている厳しい〈現実〉感覚に対抗して、この[・・略・・]聖なる結界は作られていた」(p.161)という主張には、わたしもほとんど賛成したい。たとえば作品「月夜のでんしんばしら」には、軍靴の音がひびきわたり、一名の脱落も許さない強固な全体責任体制が、国内に張り渡されつつあることを、賢治が充分に理解していることが示されている。更にまた〈イーハトーブ〉という呪言は、その聖なるバーチャルランドを、「〈現実〉感覚」に対抗し、それと戦って、開いてゆくための鍵である、というような主張にも、賛成できる。しかし吉田氏が、これを直ちに、「民衆の封建因習と戦うための呪文だ」(p.162)と卑小化しようとするとき、わたしは、そこで氏が実際に何を〈思考しようと〉しているのか、まったく理解できなくなってしまう。そしてまた、氏は、賢治の全力の仕事であった「バーチャルランドの創造」と呼ぶべき〈逃げ道〉を、どのように越えてゆくべきだ、と考えているのだろうか。−−この著で氏が本当に考えるべき問題は、まさにこの問題であっただろう、とわたしは思う。特に、氏が一方で、「人間が哀しい現実から取り囲まれて逃げられない場合、こーゆー戦い方があるってことを、いじめ時代の自殺予備軍の子供たちは知っておいてもいい」(p.170)と共感的に言いつつ、この本の結論部では、(それはむしろ子供のやり方であって)「私たちはもう少し大人なのだ」(p.256)と主張する時、氏は、著作家として、「どうすれば人は賢治を越えてもう少し大人になれるのか」について、明確に語る義務があるだろう。それができてはじめて、人は、氏を、自立した思想家とみなしうることになろう。
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実を言うと、わたしは、『批評空間』U-14の「共同討議」の中に、直ちに他の参加者たちから反駁されたある一行を見るまで、吉田氏に対して何の好意も感じていなかった。この「共同討議」は、わたしには実に不思議で、不快なものに見えたのだった。吉田氏の立論の詳細な点検、検証、というようなことは一切行われていないのだから。吉田氏の本をダシにした放談集、といったものに見えた。吉田氏自身にはこの「共同討議」はどのようなものに映ったのだろうか。そんなことにかえって興味を感じたのだった。
だが思わず納得したところもある。同じ「討議」の中で、「雨ニモマケズ手帳」の「わが六根を洗ひ・・」のところを読んだとき涙がこみ上げてきた、というところだ。そこを見て、「この人は賢治の書き物を内側から読むということを一度もしたことがないひとだったのだ」と、妙に納得したものだった。わたしは、氏が、この病苦との戦いへの共感から出発して、賢治を再び、今度は内側から、読み直している、というところを想像している。そして期待している。
わたしもまた、今、賢治の疾苦との戦いを、病による精神の、ルサンチマンからの治癒、というニーチェの問題と重ねて、読み解いて行きたいと思っている。賢治もまた、ニーチェと同じように、病を通して、精神の浄化を遂げているように見えるのだ。
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「時代の聖者 宮沢賢治」の殺人が、この著書によって成し遂げられたかどうかをわたしは知らない。そんなことは、さまざまな流行と同様、わたしにはどうでもよいことだからだ。確実なことは、吉田司氏の荒っぽいナイフ使いに全く関係なく、賢治の遺した作品は、それを必要とする人々にとって、今後も変わらずに「すきとほつたほんたうのたべもの」であるだろうということだ。
だから、本物の宮沢賢治の死なない「宮沢賢治殺人事件」などというものは、一体何なのだろうか? 『宮沢賢治殺人事件』−−これは、〈事件〉というようなものではなく、言わば一種の下剤である。しかしそれは半端な下剤なので、実際には、本質的には、何の効き目もない。それは、人を全く〈変える〉ことのできない、ただの健康ドリンクと言うべきものだ。
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